ブログを開設のお知らせ

丹羽春喜の経済論ブログ http://niwaharuki.exblog.jp/ を開設しました。

丹羽経済塾開催のお知らせや丹羽春喜の論稿をブログで更新します。

経済学博士 丹羽春喜−Haruki Niwa

丹羽春喜

日本経済再生政策提言フォーラム 会長・事務局長
日本会議大阪 議長(平成18年4月まで)
大阪学院大学名誉教授

最近の著書

【新著のお知らせ】

2009年1月下旬に、新著 「政府貨幣特権を発動せよ--救国の秘策-」(紫翠会出版:定価1,050円)が公刊されました。
紫翠会出版 (Tel. 075-533-3001、FAX 075-533-3002)

新著 「政府貨幣特権を発動せよ--救国の秘策-」 FAX注文書はこちら pdf:393KB

このホームページでは、下記の研究プロジェクト、および上掲近刊の丹羽の新著についての紹介、同じく丹羽執筆の13編の論文・評論が右欄に列挙してあります。ご関心に応じてクリックしてお読みくだされば幸いです。

「丹羽経済塾」開催のお知らせ

 

※ブログ http://niwaharuki.exblog.jp/ でご案内します。

日本経済政策学会 関西部会 「研究プロジェクト」

正統派的ケインズ主義政策体系の再構築
━━新古典派体系とケインズ体系の統合を踏まえて━━

研究代表者 :丹羽 春喜 (元大阪学院大学教授)

プロジェクト概要
1)ルーカス体系の一般化によるケインズ体系との統合
2)デフレ・ギャップ計測の方法論とその計測結果
3)国民所得勘定(GDP勘定)と乗数効果──乗数値との整合性の吟味──
4)ケインズ的マクロ均衡体系における「過剰決定」問題とその解決

このような、現代経済政策論においてきわめて重要な意味を持つテーマをとりあげ、 研究代表者(丹羽)が得たfinding を出発点として、共同論文の執筆や科研費等の申請の準備も視野に入れて、研究を深化、展開する。院生諸君の参加も歓迎する。

現在、、休止中ですが、機を見て再開したいと思っています。

(連絡先)日本経済政策学会 関西部会 事務局  
担当: 丸谷 冷史 氏 (神戸大学経済学部教授)
TEL/FAX 078-803-6826
maruya@econ.kobe-u.ac.jp

あるいは、丹羽あてにご連絡いただいても、かまいません。
TEL 0797-22-2503 /FAX 0797-22-2531
info@niwa-haruki.com

デフレ・ギャップ 1970-2008 推移図

「政府紙幣 発行問題の大論争を総括する 」

(『月刊日本』誌に掲載依頼中)平成21年4月、 丹羽 記

「置き引き」事件で水がさされたが

 過去半年というものは、「政府紙幣」や「無利子国債」の発行の是非についての論争が、白熱化してきていた。周知のごとく、昨年8 (平成20年) 12月ごろから、財務省出身エコノミスト高橋洋一氏(東洋大学教授)が、「政府紙幣」25兆円の発行を提言してマスコミの注目を集め、同氏は、一躍、論壇のスターダムに登場したわけであるが、本年(平成20年)に入ってからは、高橋氏流の「政府紙幣を刷って配れ」といった提言に対する批判論も、声が大きくなってきた。
 『日本経済新聞』の本年(平成21年)2月10日付号で、深尾光洋氏(日経研究センター理事長)が、大論文を書き、「政府紙幣」や「無利子国債」の発行は「打ち出の小槌」にはなりえないと指摘したことが、批判論陣営からの主砲発射となったようである。同じく2月10日には、『静岡新聞』でも佐藤隆三氏が、ほぼ同じ趣旨で、「政府紙幣」と「無利子国債」の発行提言を、「有権者を愚弄する奇策にすぎぬ」とこき下ろしていた。『週刊東洋経済』2月21日付号、3月7日号でも福永宏氏、池尾和人氏が同様な論旨の批判論を書いていた。『週刊新潮』2月19日付号でも、「政府紙幣」発行は「とんでもない劇薬の禁じ手だ!」と解説していた。各種のインターネット論壇でも、同種の批判論が、攻勢に出はじめ、今日におよんでいる。
 このような批判論の高まりに対して、高橋洋一氏は、『産経新聞』の本年2月13日付号で、「日銀が何もしないのならば、政府がやるしかないではないか」と論じて、これまでの同氏の主張を変えずに、「政府紙幣25兆円で危機克服を!」と叫んだ。また、同紙の編集委員田村秀男氏も、同紙同号で、「円高の今が、政府紙幣発行の好機だ!」と力説していた。すなわち、この問題は、一般庶民を対象とする新聞や週刊誌、あるいは、テレビといったメディアを舞台に、未曾有の大論争になった観があったわけである。
 ところが、そのやさきに、高橋氏が「置き引き」の事犯で逮捕され、書類送検されたという思いもよらぬ事態が生じ、この大論争にも水がさされた。しかし、だからといって、この論争の重要性が忘れられてよいというわけではない。事実、「政府紙幣」発行論に対する批判論が、いぜんとして、各種のメディアでアグレッシブに叫ばれているという形で、この論争は現在も続いているのである。私の見るところでは、そのような批判論は、総じて、きわめて大きな誤謬をおかしている。そのような誤謬に立脚して、わが国のマクロ経済政策が立案・実施されるようなことがあってはならない。本稿では、その点を明確に指摘・切言しておきたい。

 高橋氏・田村氏の提言における問題点

 『月刊日本』誌の本年3月号で、すでに私(丹羽)が指摘しておいたことであるが、実は、「政府紙幣」を新規に発行するという高橋氏・田村氏の政策案には、見逃しえない問題点がある。ちょっと考えればすぐわかるように、現行の「日銀券」と併行的に、新規に「政府紙幣」を実際に発行・流通させるためには、国内に無数に存在する種々様々な自動販売機 やATMなどを全てやり換えねばならない。このことをとってみただけでも、諸種の社会的トラブルがきわめて数多く発生するであろうということは、明らかなところであろう。しかも、現在の「日銀券」の流通額が約76兆円程度のものなのであるから、それに加えて新規に「政府紙幣」を数十兆円、数百兆円も発行・流通させることは無理である。高橋洋一氏が提言している25兆円でも、かなり難しい。そして、肝心の景気振興政策の規模そのものが、その額に制限されてしまい、しかも線香花火のように短期的に一回だけ実施される施策にすぎないというのであれば、現下の大不況を克服するには、あまりにも非力である。 ましてや、800兆円を超す国家負債の処理ということにまでなると、まったく役に立たない。
 私自身(丹羽)は、十数年も以前から、「国(政府)の貨幣発行特権」(seigniorage、セイニャーリッジ権限)の発動によって国の財政危機を救い、わが国の経済の興隆をはかれと提言し続けてきた者であり、いわば元祖である。しかし、私は、「国(政府)の貨幣発行特権」を活用するやり方としては、政府紙幣を刷らないで、しかも、トラブル的な問題も起こさずに政府財政のための「打ち出の小槌」となるような、「スマートで容易な方式があるよ!」と指摘・詳述し、それを採用・実施することこそが「救国の秘策」のための秘策であると、今日まで提言し続けてきたのである(『月刊日本』誌、昨年11月号の丹羽論文、および、紫翠会出版社本年1月公刊の丹羽の著書『政府貨幣特権を発動せよ』を参照されたい)。
言うまでもなく、そのような「スマートでトラブル的な問題も起こさない容易な方式」とは、国(政府)が無限に持っている無形金融資産である「貨幣発行特権」のうちから、所定の必要額ぶん(たとえば、500〜600兆円ぶん)を、政府が(ある程度はディスカウントでもして)日銀に売り、其の代金は、日銀から政府の口座に電子信号で振り込むことにするというやり方である。しかも、このことは、現行法でも、十分に可能なことである。この方式であれば、新規の「政府紙幣」をわざわざ印刷・発行するようなことをしなくても、そして、言うまでもなく、増税をするわけでもなく、政府の負債を増やすこともなく、事実上、政府の財政財源のための無限の「打ち出の小槌」が確保されることになるのである。
私は、「無利子国債」の発行ということについては、ずっと、否定的な意見を述べ続けてきた。その理由は、それが政府の負債(日銀に対する負債であるにせよ)をいっそう大きく増やすことになるので、IMFあたりからの非難をこうむる可能性も高く、国民をますます不安にさせて士気の低下を招き、政府の政策当局のスタンスも姑息で中途半端なものにさせてしまうことになると思われるからである。
また、実は、私自身は、「国(政府)の貨幣発行特権」という「打ち出の小槌」を財政財源として活用するための、私自身が推奨・提言してきたやり方を、単なる緊急処置的な「劇薬」の一回限りの投与だなどとは、毛頭、考えていない。マクロ的なデフレ・ギャップ、インフレ・ギャップの正しく注意深い計測と観察を怠らずに、採用・実施するのであれば、それを長期的に常用することによってこそ、わが国の経済と財政は、きわめて健全化され、活力に満ちて興隆への軌道に乗るはずだと、私は論証し続けてきた。正統派的なケインズ主義的「総需要管理政策」の理論構成からすれば、そう考えざるをえないのである。すなわち、私は、高橋洋一氏や田村秀男氏が提言してきたようなレベルよりも、さらに踏み込んで、はるかにスケールの大きな高次元の財政政策・経済政策システムを構想し、それを実現すべきだと提言してきたわけである(『月刊日本』誌、本年4月号の丹羽論文を参照)。

深尾氏ら批判論者たちの奇妙な誤謬

深尾氏たち批判論者陣営の主張で、共通して見られるところの、きわめて奇妙な点は、「政府紙幣」の発行が、日銀券の発行・流通額をそれだけ減少させることになるとして、それにともなって日銀の収益が減り、日銀からの政府一般会計への上納金も削減されることになるとして、だから政府の財政財源としては「政府紙幣」の発行は役に立たないはずだと強弁してやまないという点である。確かに、「政府紙幣」が発行・流通させられるようになったとき、経済の成長率その他の諸条件が全て不変であると仮定すれば(もちろん、このような仮定は非現実的で不自然であるが)、それだけ日銀券の発行・流通額は減ることになる。しかし、だからといって、日銀の収益が減るという必然性は無い。日銀の収益は、日銀券の発行・流通額に依存しているわけではないからである。
日銀から、「買いオペ」や「市中銀行保有手形の再割引による換金サービス」などを通じて資金が民間経済に注入される場合を考えてみても、日銀券の札束でそれが行なわれるようなことは、まず無い。日銀から、該当の民間金融機関の口座に、電子信号で、それだけの金額が振り込まれるだけのことであろう。日銀が得る収益は、上記の「手形再割引の換金サービス」による稼ぎや、「買いオペ」などで保有するようになった諸種の「金融資産」の運用益であるが、いずれも、日銀券の新規発行を必要条件とするようなものではない。
したがって、政府一般会計の年々の歳入額を見れば、すぐにわかるように、日銀からの上納金は、1兆円前後といった僅かなものにすぎないのが通例である。ところが、「政府紙幣」発行益(造幣益)は、高橋洋一氏の控え目な案でさえも、25兆円と意図されているのであるから、桁違いに大きい。ましてや、上述のごとく、「政府紙幣」を発行・流通させることは避けながら、「国(政府)の貨幣発行特権」の間接的な発動で、数百兆円もの政府財政財源を確保することを提言してきた私(丹羽)の案とでは、まったく比較にならない。すなわち、深尾氏たちの批判論(「造幣益」無効論)は、決定的に誤っているのであり、やはり、「国(政府)の貨幣発行特権」は国家財政にとっての「打ち出の小槌」なのである。
実は、「政府紙幣」発行に対して強く批判している論者たちのなかには、日銀券の発行額それ自体のほぼ全額が日銀にとっての「造幣益」であると思い込んで、それが、毎年、政府に上納されているのだと前提している人もいるしまつである(『月刊日本』誌本年3月号で指摘しておいたように、高橋洋一氏も、このような初歩的な思い違いをしている)。つまり、「政府紙幣」が発行されれば、その額だけ「日銀券」の発行額と政府一般会計への上納額が、ともに減るとして、「政府紙幣」の発行は政府の財源にはならないと叫んでいるのである。もちろん、そのような意見は、無知による滑稽な思い違いの誤りでしかない。日銀券の発行額は、その全額が日銀の負債勘定に計上されるのであり、日銀にとって造幣益は生じない。政府に上納されることもない。このことは、エコノミストにとっては初歩的な常識のはずである。

批判論の最も致命的な欠陥

さて、深尾光洋氏、佐藤隆三氏、池尾和人氏、福永宏氏などの「政府紙幣」批判論の論旨における、おそらく最も致命的な欠陥は、『月刊日本』誌、本年4月号でも私(丹羽)が指摘しておいたように、「政府紙幣」発行によって、ないしは、いっそう本源的には、私自身が提言し続けてきたような、「スマートでトラブルを起こすことも無い容易な方式」での「打ち出の小槌」財源によっても、ケインズ的な有効需要拡大型の財政政策の実施ということが、あたかも、まったく行なわれえないものであるかのごとく頭から決め込んで、そのことには全く言及せずに、批判的な論述がなされているという点である。したがって、ケインズ的なフィスカル・ポリシーでマクロ有効需要政策が実施されることによる経済の成長・繁栄ということも、完全に視野から外されてしまっている。つまり、最重要なメリットを無視して、批判論なるものが書かれているのである。すなわち、ケインズ主義的政策による効果を無視するという新自由主義的・新古典派経済学流の「反ケインズ主義」イデオロギーによる政治的な欺瞞情報キャンペーンの一環として、深尾氏などの論文は書かれているわけである。もちろん、そのようなことでは、科学的な合理的批判論として取り扱うわけにはいかない。
わが国の経済においては、私が幾度も実証してきたように、現在、きわめて巨大な規模でデフレ・ギャップが発生して、居座っている。巨大なデフレ・ギャップが存在しているということは、厖大な生産能力の余裕が有るということを意味している。したがって、政府が、上述したような「国(政府)の貨幣発行特権」の活用という財源調達手段による財政政策の発動により、大規模なケインズ的有効需要拡大政策を実施した場合、何の問題もなく、物財やサービスの生産・供給量が増える。これは、輸入品の供給量も含めて、そうなるのである。したがって、インフレ的な悪性の物価上昇が生じる心配はない。しかも、現行のフロート制(変動為替相場制度)の特性で、貿易収支や国際収支の均衡といった対外均衡も、自動的に保たれる傾向があるのであるから、ますます安心しうるわけである。
すなわち、現在のわが国経済においては、「政府紙幣の発行」という発想の基礎をなしている「国(政府)の貨幣発行特権」という「打ち出の小槌」財源によるケインズ的財政政策で、どんなに大規模な有効需要拡大政策が実施されたとしても、物価が安定したままの高度経済成長という、いわば理想的な経済状況が実現されうるのである。これが、最も重要な、かけがえのない政策メリットである。ところが、深尾氏、佐藤氏、福永氏、池尾氏などは、経済が成長せず、ただ、物価のみが上昇するものと想定して、批判論を展開しているのであるから、まったく問題にならない。深尾氏が、物価の高騰は一種の増税にほかならないと強調してやまないところの、いわゆる「インフレ・タックス」理論も、そのような非現実的なゼロ成長ないし極端な低成長状態で物価のみが上昇するといった、およそありえないような場合についてのみ述べている奇妙な教説にすぎないのである。

ルーカス理論の非現実性

ただし、エコノミスト諸氏にとっては周知のことであろうが、新自由主義・新古典派経済学グループのカリスマ的な指導者ルーカス教授の「ルーカス型総供給方程式」の理論によれば、市場経済では、「自然失業率」に対応した水準のところで、経済は成長しえなくなり、上にも下にも行けない、にっちもさっちもいかない状態になってしまって、総需要が増えただけ、物価が上がるにすぎないという「定理」になっている。つまり、ケインズ的政策によるマクロ的有効需要政策は無効だと、決めつけられてしまっているのである。このルーカス理論は、新自由主義・新古典派のパラダイムで支配されてきた過去四半世紀のわが国の経済学界・経済論壇では、ほとんど神格化されてきた。小泉・竹中の政策路線においても、ルーカス理論のこのようなパラダイムが指導的な役割をはたしていた。だからこそ、深尾氏たちも、上記のごとく、ケインズ的フィスカル・ポリシーの効果を無視した批判論に終始してきたのであろう。
しかし、ルーカス教授のこのような奇妙な結論は、需要が増えても減っても、企業は、そのような需要の変動に応じて生産設備の稼働率を変えて調整・対応するということを、全く行なわないものとするという、おそろしく非現実的な仮定を暗黙のうちに設定したことによって、トリック的に導き出されたミスリーディングな定理でしかないのである。
そのことを見破って、私(丹羽)が、需要の変動に応じて、企業は、雇用量とともに資本設備の稼働率も変化させて対応するものとするという、現実的かつ一般的に妥当性の高い想定を置いて、ルーカス体系を数理経済学的に再構成してみた。そうしてみたところ、総需要が増えれば、それにまさしく応じて経済は成長し(すなわち、実質GDPが成長し)、「自然失業率」なるものも、どんどん低くなって、経済は完全雇用・完全操業の状態に近づいていくということがわかったのである(丹羽著『新正統派ケインズ政策論の基礎』、学術出版会、平成18年刊参照)。つまり、このようなことも考えあわせてみると、上記の深尾氏、池尾氏たちの論文も、新古典派経済学流のルーカス理論の濃密な影響下で執筆された論文であると、見るほかはないのである。

高橋氏も新古典派だ

実は、批判論の陣営ばかりではなく、「政府紙幣を発行せよ」と提言している高橋氏の議論においても、新古典派経済学流の不合理なスタンスを見出さざるをえないのである。すなわち、高橋氏は、新古典派経済学理論における、いわゆる「マンデル=フレミング効果」に言及して、財政政策による公共投資のような有効需要拡大策は、効果があまり無いと断定してしまっている。そして、高橋氏は、同氏が主張している25兆円の「政府紙幣」発行を、マネー・サプライの増加といった金融緩和政策のためだけに使えと提言している。これは、新古典派マネタリズムの政策スタンスであるが、不適切きわまる主張である。金融政策は、景気の過熱を抑えるのには効果的であるが、景気を上向かせる力は弱い。ましてや、100年に一度といった現在の超大不況の危機克服策としては全く無力であろう。
「マンデル=フレミング効果」とは、国債発行を財源とする財政出動ではクラウディング・アウト現象(民間資金が国庫に吸い上げられて、民間の資金不足が生じること)が発生して、金利が上昇し、それによって、対外為替レートの高騰(日本の場合であれば、円高の進行)が生じるので、其の国の産業の対外競争力が失われ、結局、景気の回復は、損なわれてしまうであろうという理論である。しかし、「政府紙幣」の発行ないし「国(政府)の貨幣発行特権」という「打ち出の小槌」財源の発動の場合は、クラウディング・アウト現象が生じないから、「マンデル=フレミング効果」を心配する必要は無いはずだ。高橋氏ともあろう人が、このような初歩的なことに気がつかなかったとは、まことに不思議である。
このような高橋氏による論述を見てみても、現代の新自由主義思想の中核をなしている新古典派経済学流の不合理なイデオロギー的「反ケインズ主義」による思想的汚染の影響を、まざまざと感じ取らざるをえないのである。

ケインズ政策での繁栄はフリー・ランチなどではない!

池尾和人氏は、「政府紙幣」発行ないし「国(政府)の貨幣発行特権」活用を政府財政にとっての「打ち出の小槌」財源と見なす考え方を、「社会的にはフリー・ランチは存在しえない」と強調することによっても、強く批判している(『週間東洋経済』、本年3月7日号)。もちろん、このような批判論も、まったくの見当違いである。
 私(丹羽)が指摘し提言してきたように、「国(政府)の貨幣発行特権」の活用ということが財政政策のための財源調達手段として大規模に行なわれるようになれば、そのことは、事実上、国家財政にとっては「打ち出の小槌」財源を、いくらでも利用することができるようになるということである。そうなれば、在来の意味での国家財政バランスでの「黒字」、「赤字」といったことは無意味になり、それに代わって意味を持つようになるのは、上記でも触れておいたように、マクロ的に、デフレ・ギャップであるか、インフレ・ギャップであるかということである。そのことは、とりもなおさず、マクロ的なフィスカル・ポリシーとしての経済政策が、不合理な「旧来の陋習」の拘束を脱して、大規模かつダイナミックに、本来の役割を果たしうるようになるということである。そのことは、日本の国民が、そして、全人類が、「ケインズ革命」を真に完成し、すばらしい繁栄の黄金時代を実現しうるようになるということにほかならない。
 ただし、そのような経済の繁栄と成長は、人々が遊んでいても、「フリー・ランチ」として、もたらされるわけではない。「打ち出の小槌」財源で政府によるマクロ的な有効需要政策が十分に行なわれるようになれば、ケインズ理論で言う「有効需要の原理」(乗数効果)の働きもあって、遊休していた企業の資本設備が稼動しはじめ、投資による生産能力の拡大もなされ、そして、失業ないし不完全就労の人たちもどんどん働くようになる。だからこそ、経済の繁栄と成長がもたらされるのである。

モラル・ハザード論で真に考えるべきこと

最後に、わが国の経済において発生・累積してきた巨大なデフレ・ギャップのことを、もう一度、考察してみよう。このデフレ・ギャップの発生・累増という形で空しく失われてきた潜在GDP額は、平成不況が発生してからの十数年だけの合計でも5000兆円に達している(1990年価格評価の実質値)。総需要さえ適切に確保されていれば、このような大惨害は起こらなかったはずだ。言うまでもなく、総需要の確保は、政府のマクロ政策の任務である。すなわち、このような大惨害を生起させた主要原因は、ひとえに、わが政策当局の新自由主義・新古典派的スタンスによる陋習のゆえに、ケインズ的フィスカル・ポリシーの実施がほとんど行なわれずに推移してきたということにあったわけである。こういった状況は、まさに、わが政策当局において、財政政策立案における「真の規律」が失われてきたということを、まざまざと示しているのである。しかもそのことが、今日まで、徹底した官製の欺瞞情報オペレーションによって隠蔽・秘匿されてきているのである。そのことを実証的・理論的に、詳細に暴露し指摘してきたエコノミストは、事実上、私だけであった(前掲、丹羽著『新正統派ケインズ政策論の基礎』参照)。
内閣府は、現在の大不況下にあってさえ、わが国経済におけるGDPギャップ(デフレ・ギャップ)の規模を、潜在GDPベースでわずかに4.1パーセント、約20兆円にすぎないと公表(本年3月17日公表)しているしまつである。本ホーム・ページでも示し、また、私の数多くの著作でも詳細に実証してきたように、私が精密に推計したところでは、現在の日本経済におけるデフレ・ギャップ規模は、潜在GDP換算ベースで優に400兆円を超えているはずである。ところが、内閣府のこの公表値では、なんとまた、現在のわが国の経済が、全体として、実に96パーセント近い超高操業度で営まれているというのである。だとすれば、現在のわが国の経済は、不況どころか、はなはだしい景気過熱で沸騰している超好況状態にあるということになってしまう。言うまでもなく、このような内閣府公表の推計値なるものは、まったくの欺瞞である。このような官製の欺瞞情報の発信・流布が、これまでの四半世紀、絶えず続けられてきているのである。こういった状況は、まさに、わが政策当局において、モラル・ハザード状況がきわめて悪質化してきているということを、つぶさに物語っているものであろう。
「政府紙幣」発行ということに対しては、また、私(丹羽)が提言してきたような「政府紙幣」の発行を直接的には行なわずに、間接的に「国(政府)の貨幣発行特権」の発動を財政政策の「打ち出の小槌」的な財源調達手段とすることについても、そのような施策が政策当局のモラル・ハザードを惹起し、財政規律を弛緩させるとして、非難するむきも多い。
しかし、そのようなことをあげつらうのであれば、その前に、まず、上述された5000兆円もの潜在GDPの喪失といった大惨害をもたらした真の意味での「財政政策の規律」の亡失や、それを隠蔽・秘匿することを続けてきた政策当局、ならびに、そのことを無為に看過してきた立法府や諸政党のモラル・ハザード状態を、きびしく批判するべきであろう。
実は、私が提言してきた「国(政府)の貨幣発行特権」の発動こそ、まさに、このような積弊を払拭するのに大きく役立つ施策なのである。

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