建白書への補論 着目すべきは、政府貨幣と日銀券の本質的な違い!

2002年1月

政府貨幣は政府の負債にはならない

実は、本稿で述べますことは、まことに初歩的なことにすぎませんが、意外にも、むしろプロのエコノミストたちのあいだで盲点になっていて、 思い違いをしておられるかたが、かなり多いようですので、明瞭に書いておくことにしたいと思います。

古来、常に指摘されてきましたように、そして、現在でも、経済学や財政学の教科書 には必ず明記してありますように、政府の財政収入を得る手段は三つあります。
すなわち、
(1)租税徴収
(2)国債発行
(3)通貨発行
の三つです。現在のわが国においては、(1)の租税徴収も(2)の国債発行も、もはや限界に来ているわけですから、今日の深刻な財政・経済の危機を打開するための財源調達には、(3)の通貨発行という手段のなんらかのバリエーションを、下記のごとく工夫するべきだというのが、過去数年くり返し行なってきました私の政策提言の基本ビジョンです。

ご承知のごとく、わが国の現行法の規定するところによれば、わが国の「通貨」は 「政府貨幣」と「日銀券」より成っています。この「政府貨幣」には、金属で鋳造されたコインだけではなく、「政府が発行する紙幣」すなわち「政府紙幣」も含みます。 また、政府発行の「記念貨幣(記念紙幣)」も「政府貨幣」です。

さて、上記のごとく「通貨」を構成している「政府貨幣」と「日銀券」のうち、「日銀券」の場合は、言うまでもなく、それをいくら発行しても、それ自体では、政府の財政収入にはなりません。かりに、戦前の高橋是清蔵相のときのごとく、新規発行国債の日銀による直接引き受け(これは、現在でも、国会の特別決議があれば可能です)が行なわれたとしても、要するに、それは、政府が日銀からそれだけの額の借金をしたということにすぎませんから、政府が「造幣益」という財政収入を得たわけではありません。しかも、よく知られているように、「銀行券」であるところの「日銀券」の発行額は日銀の負債勘定に計上されるのですから、日銀にとっても、「日銀券」の発行ということそれ自体からは「造幣益」は得られません。

平成十年三月末まで施行されていた旧「日銀法」では、日銀が「日銀券」を発行するときには、担保と見なしうるような所定の金融資産的裏づけを必要とするものと規 定されていました。しかし、平成十年四月より施行されている現行の「日銀法」では、「日銀券」の発行には、とくに担保を必要とはしないという規定に改められています。しかし、日銀にとっては負債である「日銀券」がそのように資産的裏づけ無しに多額に発行されますと、日銀は債務超過に陥ってしまいます。日銀が債務超過になったからといっても、実際には、実体経済に関してはあまり不都合なことは生じないかもし れませんが、マスコミなどは大騒ぎをするでしょうし、金融政策が姑息なものとなり、その信頼度が低下することは、避けられないところでしょう。

  ところが、「政府貨幣」(「政府紙幣」をも含み、また「記念貨幣」をも含む)になりますと、この点が全く異なります。すなわち、通貨に関する基本法である「通貨の単位および貨幣の発行に関する法律」(昭和62年、法律第42号)では、「貨幣」 (すなわち「政府貨幣」)の製造および発行の権能が政府に属するという「政府の貨幣発行特権」(seigniorageセイニアーリッジ権限)がはっきりと明記(同法第4条)されており、その発行には、なんらの上限も設けられておらず、政府はそれを何千兆円でも発行することができ、担保も不要とされているのです。しかも、発行された「政府貨幣」(「政府紙幣」や「記念貨幣」をも含む)の額が政府の負債として計上されることもなく、その発行額は政府の正真正銘の財政収入になります。つまり、「政府貨幣」の発行額(額面価額)から、その発行のための原料代 や印刷費や人件費などのコストを差し引いた額は「造幣益」として国庫に入るわけです。このように、「造幣益」が発生し、それが政府の手に入るということこそが、 「政府貨幣」が「日銀券」と根本的に違っている点です(大蔵省理財局・造 幣局・印刷局スタッフの共同執筆で平成6年に大蔵省印刷局より公刊された『近代通貨ハンドブック――日本のお金――』、114頁参照)。

政府貨幣の本質に基づく救国の秘策

この両者のあいだに、なぜ、これほどにも大きな特性の相違が生じるのかという理由は、「日銀券」のような「銀行券」というものの形式的性質が、その銀行が振り出した手形や小切手のようなものであるのに対して、「政府貨幣」が発行されるということは、その発行額ぶんだけ、その国の社会が保有あるいは生産・供給しうる財貨・サービスに対する請求権を政府が持つということを、宣言していることにほかならないという点にあります(このことも、経済学の教科書的な著作 類には、しばしば述べられています)。つまり、「政府貨幣」は社会の財貨・サービスに対する「請求権証」なのです。だからこそ、それは「負債」として扱われることにはならないわけです。この「諸財に対する請求権」を、必要とあれば、無限にそれを行使しうるという権能が「貨幣発行特権」として国(中央政府)に与えら れているということは、まさに、国家の基本権の一つであり、危急存亡の事態に国が直面したような場合には、政府は、それを発動して危機乗り切りをはかることができるわけです。

もとより、そのような「政府貨幣」発行による「造幣益」に対しては、政府 が利息を支払ったり償還をしたりする必要は全くありません。マクロ的に生産 能力の余裕が十分にある現在のわが国のような状況のもとでは、これは、国民 (現世代および将来世代)の負担にも、いっさい、なりません。要するに、現在のわが国にとっては、このような特質を持つ「国(政府)の貨幣発行特権」の大規模発動こそが、まさに「打ち出の小槌」なのです。

しかも、現在のわが国でこの「打ち出の小槌」を用いようとする場合、現実的には、「政府貨幣」ないし「政府紙幣」を実際に巨額発行する必要は必ずしもありません。つまり、上記の「国(政府)の貨幣発行特権」は、いわば、政府が無限に多く持っ ている一種の無形金融資産ですので、そのうちの、たとえば400兆円ぶんとか5 00兆円ぶんといった一定額ぶんの「政府貨幣発行権」を政府が日銀に売れば、それでよいわけです。なにしろ、上述のごとく、現行法では、「日銀券」とは違って、 「政府貨幣」は負債として扱われるものではないところの「諸財への請求権証」そのものですから、日銀にとっては、その発行権の取得は、超優良資産を入手しうるということにほかなりません。

しかも、政府がその発行権の一定額ぶんを日銀に売るにさいして、ある程度の値引きをすることにすれば、日銀は、この「政府貨幣発行権」の所定額ぶんの取得によって日銀自身の資産内容を大幅に改善することができ、それを通じてわが国の金融と信用秩序を安泰・堅固なものにすることにも役立ちます。したがって、このようにして日銀が「政府貨幣発行権」の一定額ぶんを取得することは、現行の日本 銀行法の第38条の適用として可能だと思われるわけです。

日銀から政府への、その代金の支払も、「日銀券」の現金でそれを行なうといったことは不必要で、ただ単に、それだけの巨額の金額が記された日銀の保証小切手が政府の手に渡されれば、それでよいわけです。あるいは、政府の口座に、それだけの額の振り込みをするという電子信号が日銀から送られれば、それでもよいわけです。政府は、その保証小切手が手に入りしだい、あるいは政府の口座への日銀からの電子信号による振込みがなされしだい、それを財源として使用して、一挙に財政再建を達成することもできますし、また、それと同時に「右肩上がり」の高度成長軌道にわが国の経済を乗せるための大々的な内需拡大政策を実施することにも、 直ちに取り掛かることができるようになるわけです。これこそが、私が提言し続けてきた「救国の秘策」なのです。

無根拠な「禁じ手」タブー観念から脱却せよ

 いま、わが国の政策担当エコノミスト諸氏が、ぜひとも、よく理解しなければならないことは、このような「打ち出の小槌」による「救国の秘策」は、その実施が 非常に容易で、全く安全だということです。しかも、これを実施した場合の効果が きわめて大きく、即効的であるということも、100パーセント確実です。とは言え、おそらく現内閣のブレーン諸氏のあいだなどでは、そのように「打ち出の小槌」を活用するということを「禁じ手」のタブーだとして、それを実施してはならないと考えている人も多いと思います。しかしながら、これが「禁じ手」であると見なされねばならないのは、インフレ・ギャップが発生しやすいような状態にあるときだけです。ところが、現在のわが国の経済においては、正反対に、前掲建白書の付図が示していますように、超膨大なデフレ・ギャップ(すなわち需要不足に起因する生産能力の余裕)が生じているのが現実の状態です(ただし、旧経済企画庁や現 内閣府は、正しいコンセプトでのデフレ・ギャップの計測を怠り、その巨大発生と いう実情を秘匿してきました)。すなわち、インフレ・ギャップ発生の怖れは皆無 なのです。したがって、この「打ち出の小槌」の活用を「禁じ手」のタブーだとするべき理由は、何もありません。

無根拠な先入主を捨てて虚心坦懐に考えていただきさえすれば、どなたでも、す ぐにお分かりのはずですが、この「打ち出の小槌」を用いるほかには、現在のわが国の財政・経済の深刻きわまる危機的状況を克服する方策は、国家政策としては何も見つからないというのが、忌憚のない現実なのです。

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