危険! 19年度国家財政:新年度のわが国家財政危うし

新年度のわが国家財政危うし!
━官庁エコノミストの退廃は深刻━

『月刊日本』平成19年2月号掲載

日本経済再生政策提言フォーラム会長
経済学博士 丹羽春喜

(注)本稿は、平成18年10―12月期についての意想外に好調とされた内閣府によるGDP速報の発表に約3週間先立って『月刊日本』誌2月号に掲載さ れたものであるため、やや、悲観的トーンの濃い内容になりすぎたかもしれない。
しかし、平成18年10―12月期の好調は一時的なものであったようであり、平成19年に入ってからは、わが国経済のGDPその他の諸指標は、明らか に減速を示している。平成18年度の政府税収も、補正後の予定額よりも約1兆円下回ってしまったと報じられている(『日本経済新聞』6月21付朝刊)。

はたして財政健全化への前進なのか?

去る12月20日、尾身財務大臣は、新年度(平成19年度)の政府財政予算の財務省原案を閣議に提出した。各省庁との折衝は、すでになされていたので、12月24日にこの案が、そのまま閣議で承認され、新年度のための「政府財政予算案」となった。これが、ほぼそのまま、国会でも承認されることになるであろう。

この新年度政府予算案では、一般会計の「基礎的財政収支」(いわゆるプライマリー・バランス)の赤字額が6兆8000億円の大幅減と見込まれており、国債の新規発行額も4兆5000億円の削減と予定されている。それでも、まだ、国債の発行残高の増加基調を食い止めるまでにはいたらないのであるが、しかし、とにもかくにも、このように、プライマリー・バランスの赤字額と国債の新規発行額を、かなり大幅に減らす予定とされていることは、一般庶民にも強い印象を与えたのではないかと思われる。新聞などでも、「財政健全化へ一歩前進」(『日本経済新聞』12月20日付、夕刊)と受け止めている向きが多いようである。

しかし、実のところは、この財務省原案そのままとして決まった新年度政府財政予算案は、ざっとそれを見てみただけでも、下記のごとく、きわめて重大な欠陥を含んでいるように思われるのである。

すなわち、上述のように、あたかも「財政健全化へ一歩前進」が可能であるかのごとく見えるようになったのは、新年度(平成19年度)の政府財政一般会計における自然増収を主とする税収の増加額を、きわめて大きく、7兆6000億円(対前年度当初予算比)と見積もって、税収総額を対前年度当初予算比では16.5パーセントもの大幅増と想定したからである。その他の雑収入(料金収入など)の伸びの見込み額も加えると、合計7兆7600億円の「税収等」の政府収入額の増加を見込んでいることになる(財務省のホーム・ページによる)。ところが、以下の本稿で分析するように、新年度のGDP(すなわち、減価償却額をも含めたグロス・ベースで計算する場合の国民所得額)の増加額はせいぜい5兆円程度にとどまり、7兆円台(名目値ベース)に達することなどは、かなり難しいのではないかと思われる。したがって、この財務省原案=政府案では、新年度(平成19年度)の政府財政一般会計における税収等の増加額が、あたかも、GDP(すなわちグロス・ベース国民所得)の増加額をも上回ることができるかのごとく、見積もられていることになるわけである。もちろん、このようなことは、よほど異常な条件のもとでなければ、まず、ありえないことである。だとすれば、新年度の政府財政予算案の収支見積もりは、根底から崩壊してしまうことに、ならざるをえないことになるはずである。

平成18年度ゼロ成長の怖れ

新年度(平成19年度)において、自然増収など7兆6000億円もの巨額の政府税収の増加額を見込むことになったのは、明らかに、平成18年度予算からの延長推計によるものであると見てよい。

そこで、ここで、まず、その平成18年度の政府税収見積もりを簡単に見てみると、平成18年度の政府財政一般会計においては、その当初予算において、すでに、対前年度(平成17年度)当初予算比で1兆8700億円の自然増収が予定されていた(ただし、この額は、ほぼそのまま、地方自治体への税源移譲額に相当するものとされていた)。そして、12月に決まったその平成18年度補正予算では、さらに4兆5900億円もの同じく自然増収を主とする追加的な政府税収の増加が見積もられているのである。すなわち、平成18年度においては、政府財政の一般会計で、合計6兆4600億円もの税収の増加が見込まれているのである。これは、対前年度(平成17年度)当初予算比で14.7%、同じく対決算額比で3%の増収の見込みということである。財務省は、この程度の自然増収が新年度(平成19年度)においても発生しうると想定したうえで、さらに、所得税の定率減税の廃止という増税の効果で、約1兆2000億円の増収もそれに上積みしうると見込んだようである。これで、7兆6000億円程度の税収増となるという算定になったわけである。

しかし、そもそも、そのような算定の大前提となっている平成18年度において、上記の6兆4600億円もの政府税収の増加が、はたして実現しうるのであろうか。言うまでもなく、このことは、一に懸かって、GDPの伸び率のいかんによることである。

GDPの四半期別の伸び率(名目値ベース)を見てみると、平成17年度の後半では、その第3四半期(平成17年10〜12月期)でも第4四半期(平成18年1〜3月期)でも、それぞれ対前期比0.4パーセントの伸びであったが、平成18年度に入ってからは、第1四半期(平成18年4〜6月期)も第2四半期(平成18年7〜9月期)も、GDPは、それぞれ対前期比で伸び率ゼロ(第2四半期はわずかにマイナス)と算定されているのである(内閣府、12月8日公表の改定値によった)。つまり、平成18年度に入ってからは、GDPの伸びが止まってしまっているのである。平成18年度の第2四半期(平成18年7〜9月期)のGDP水準を対前年同期比で見た場合には、辛うじて1.0パーセント高とはなっているものの、前年度(平成17年度)の第3四半期と第4四半期とにおいては、上述のごとくGDPが上昇趨勢にあったのであるから、もしも、平成18年度の後半(すなわち、平成18年10〜12月期および平成19年1〜3月期)も上記の平成18年度の前半期と同様なゼロ成長に近いGDPの低成長が続くものとすれば、新年度(平成19年度)の当初におけるわが国のGDP水準は、対前年同期比で1.0パーセント高にも達しえないで、むしろ、それが事実上はゼロ・パーセントの近傍にとどまっているといった惨状になってしまうことにもなりかねない。いずれにせよ、現在、わが国の経済がゼロ成長に近い低迷状況に呻吟しているということは確かなのである(実質値ベースでは、もう少し高いGDP成長率の数字に依拠しうるようになるはずだと指摘する向きもあるかもしれないが、名目値で言及・考察されることが通常のしきたりである当面の税収額の多寡という問題との関連で把握しようとする場合には、GDPについても名目値ベースで考えていくことが必要なのである)。

平成18年の12月下旬という本稿の執筆時点では、平成18年度の第3四半期および第4四半期のGDPの速報値は、まだ、入手しえないが、それが、突如として高度成長を記録するようになるとは、とうてい思われない。だとすれば、上記の平成18年度補正予算で見込まれているような4兆5900億円もの政府税収の増加、さらには、同年度の当初予算ですでに見積もられていた1兆8700億円の自然増収額をも加えた合計6兆4600億円もの税収の増加が、そのまま、すんなりと実現されうるなどとは、ちょっと考えることができないと言わざるをえない。

ただし、税収の多寡は、当該期の経済状況だけではなく、企業収益などがある程度は前期ないし前年度の経済状況にも依存して決まる面もあるといった、タイム・ラッグ(時間的遅れ)をともなった特性を持っているとも言いうる。したがって、一応はプラスの成長であった平成17年における経済の好影響が、昨年(平成18年)の半ばごろまでは多少は残っていたと見ることもできるであろうから、昨年の春ないし初夏以降のわが国のGDPがゼロ成長の状態に陥ってしまっているとしても、上記の平成18年度当初予算ならびに同補正予算で見込まれているような税収増加が、全面的に不可能になるとまでは、言えないかもしれない。とはいえ、上記6兆4600億円もの平成18年度税収増予定額の全額を実現するなどということは、とうてい無理であり、財務省公表の11月末時点までの税収進捗状況で見てみても、そのような増収目標とはほど遠いようである。つとめて楽観的に見てみたとして、ようやく、そのうちの幾らかの割合にあたるぐらいの額の税収増加が得られる可能性もあろうということに、すぎないはずである。しかも、これは、あくまでも、平成18年度にかぎっての話である。平成19年度になれば、昨年以来のこのようなGDPゼロ成長状態から生じてくるタイム・ラッグ効果が、マイナス方向に作用してくるはずである。

想い起こしてみると、マスコミが「好況の到来」を熱狂的にはやしたててきた平成15年度から平成17年度にかけての時期においてさえも、GDP成長率(名目値ベース)は、各年度とも、それぞれ1.0パーセント程度に過ぎなかった(内閣府12月1日公表の改定GDP系列による)。したがって、この時期でも、政府税収の増加額は、比較的わずかでしかなかった。言うまでもなく、平成18年度のゼロ成長状態の後遺症としては、民間設備投資が多かれ少なかれ冷却化し、民間消費も低迷を脱し得ないまま続くことになるのではないかということが心配されざるをえないわけである。しかも、景気を抑える効果を持つ増税も行なわれはじめている。かりに、そのような不安要因をできるだけ少なく見積もり、可能な限り楽観的な予測をたてたとしても、新年度(平成19年度)におけるGDP成長率(名目値ベース)は、対前年度比で1パーセントに達するのがせいぜいであろう。ということは、現在のわが国のGDPが年額で約500兆円であるから、それの1パーセントであるとすれば、平成19年度におけるGDPの増加額は、楽観的に見積もったとしても、5兆円程度にとどまらざるをえないということである。

このように考察してくると、上記の平成19年度政府財政の一般会計予算案(財務省原案)で見積もられている7兆6000億円という税収増加額が、いかに途方も無い過大推計の数字であるかということが、判明するであろう。なにしろ、税収増加額がGDPの増加額を5割以上も上回ることになっているのであるから、非現実性の極致である。

税収関数の推計値で考える

ここで、経済学や財政学でよく用いられる「税収の所得弾性値」という指標、ならびに、それと関連する「税収関数」の計測ということについても、若干、述べておこう。この「税収の所得弾性値」とは、所得の指標たとえばGDPが、かりにプラスあるはマイナス方向に1パーセント変動したとした場合に、そのことによって政府の税収が何パーセント変動するかということを示す数値のことである。この数値(すなわち「税収の所得(GDP)弾性値」)は、そのための関数――いわゆる「税収関数」――を推測統計学的な手法で実証的に推計することによって、算定することができる。

筆者自身(丹羽)も、これまでに、そのような「税収関数」を、推測統計学的な手法で幾度となく推計し、経済や財政の分析に用いてきた。わが国の場合には、消費税の導入が行なわれた1989年の以前と以後とでは、このような「税収関数」で推計れるパラメーターの値や特性がかなり違ってくるから、一応、消費税の導入がなされた1989年度から2005年度(平成17年度)までをデータ観察期間とした筆者自身の推計による「税収関数」(名目値、中央政府ベース)を見てみると、「税収の所得(GDP)弾性値」は2.1というかなり大きな値として計測されたのである。財務省が新年度政府予算案において、上記のような「超大幅な税収増」を見込んだ一つの根拠も、おそらくは、この点にあったのであろう。

しかし、このように高い「税収の所得(GDP)弾性値」が計測されうるからといって、だからといって、財務省のそのような異常に巨額の税収増の見積もりが妥当であるということには、必ずしもなりはしない。以下、そのことを、少し、論述しておきたい。

実は、こういったGDPの変化率が政府税収の変化率を引っ張るといった形の関数――つまり、波動によって波動を追跡するといった形の関数――の推計作業では、そのフィットを良くすることが、なかなか難しい。しかし、この筆者自身が推計した「税収関数」のフィットはかなり良好で、「相関係数」が0.8507という値を記録している。その他の信頼性検定の結果を示す「t値」や「DW値」といった諸指標も、良好な値を示している。経済についてのこのような波動追跡型の関数で、この程度までに高いフィットと信頼度を示した推計結果が得られたのは、むしろ、「うまく計測しえたケース」であると言ってよいのである。したがって、上記の2.1という「税収の所得(GDP)弾性値」の値は、疑いも無くかなり信用しうる数値である。

ただし、実は、この計測値は、通常、最もよく利用されているシンプルな型の「税収関数」を推計した場合の数値である。筆者(丹羽)が、上述のタイム・ラッグ効果を分離して計測しうるように工夫したやや手の込んだ型の関数を推計してみたところ、フィットがさらに良くなり、「相関係数」が0.9042まで高くなった。このように、タイム・ラッグ効果を分離して明示しうるような型の関数の場合には、当然、この弾性値も二つの部分に分かれて計測されるなど、かなり複雑になる。

しかし、本稿では、叙述を簡明にするために、最も普通に利用されているシンプルな型の「税収関数」の推計結果に基づいたシミュレーション的な考察の結果について、述べていくことにする(複雑な型の関数を用いたシミュレーションでも、得られた結論は、ほぼ、同じであった)。

まず指摘しておかねばならないことは、このようにして推計された「税収関数」では、GDPの伸び率がゼロ・パーセントとなった場合には、政府(中央政府)の税収額が約1パーセントのマイナス(すなわち減少)になってしまうということも示されているということである。しかも、このぐらいのマイナス幅で、なんとか済んでいるのは、1997年に行なわれた消費税率の引き上げが、現在でも、国の税収の落ち込みをかなり食い止める効果を発揮し続けているからである。このことを、有意に物語っている特別な「ダミー変数」のパラメーター計測値も、この関数には示されているのである。したがって、上記のごとく、「税収の所得(GDP)弾性値」が2.1というかなり大きな値として推計されているとはいえ、国の税収が落ち込むことを食い止めるためには、少なくとも、GDPが0.48パーセント(すなわち、約0.5パーセント)伸びる必要があるということなのである。しかも、これは、税収が辛うじて落ち込まないですむという最低限の話なのである。であるから、GDPの成長率が1.0パーセント程度であるとすれば、政府(中央政府)の税収は、辛うじて1パーセントをわずかに超える程度の増加にすぎないといったことになるわけである。かりに、新年度(平成19年度)において諸種の経済的好条件に恵まれて、わが国のGDPが年率2パーセントの成長率を実現しえたとしても、政府の税収は、それにともなって、ようやく3パーセント程度だけ、増えることができるにすぎないという計算になるのである。

ところが、上記のごとく、新年度(平成19年度)については、GDPの伸び率が辛うじて1.0パーセントに達しうるかどうかといった状況であるのにもかかわらず、財務省は、新年度の政府税収額を、対前年度当初予算比で16.5パーセントもの超大幅増加である53兆 5000億円、すなわち、税収の増加額が7兆6000億円という巨額にまで達しうるかのごとく見込んでいる。言うまでもなく、このような数字を示した財務省が、新年度における税収の増加額をきわめて非現実的に、過大に想定してしまっているということは、上述のような「税収関数」の推計結果を踏まえた考察によっても、明らかなところであろう。すなわち、筆者(丹羽)が、「新年度のわが政府財政、危ふし!」と叫ばざるをえないゆえんである。

官庁エコノミストの病弊

本稿における上述のような筆者(丹羽)による分析・考察は、きわめて重大な意味を持っているものではあったが、しかし、けっして難解な内容のものではなく、しかも、その多くが、かねてから、わかっていたことでもあり、経済や財政の問題に多少とも関心を持っておられる読者諸氏にとっては、容易に理解しうることばかりであったはずである。しかるに、かんじんの財務省のスタッフ諸氏が、あたかも本稿で指摘したような重要な諸事項をまったく看過しているかのごとく、きわめて非現実的な新年度政府予算案を策定するにいたっていることは、まことに不思議であり、理解に苦しむところである。

おそらく、財務省スタッフをはじめとする官庁エコノミストたちとしては、その主流グループが拠って立つようになっている新古典派的スタンスに基づいて行なわれてきた小泉政権時代の政策の「成果」なるものとして、「今や財政再建のめども立ちはじめたのだ!」と装い、そのように演出するということが、その威信や支配力を保つためにも、ぜひとも必要なことであると感じられていたにちがいない。安倍内閣の最初の予算案作成という機会に、そういった「劇場的演出」が行なわれたわけであろう。

しかし、合理的な経済学的分析を無視してなされるような無責任なウインドウ・ドレッシングまがいの財政予算案の作成、さらには、それによるミス・リーディングかつ誤った経済政策の立案・実施は、そのことが、ただ単に安倍内閣の危機を招く可能性が濃いということだけにはとどまらず、さまざまな面で、わが国に甚大な害を及ぼすことになるものと、憂慮せざるをえないのである。

このような、わが国の官庁エコノミストたちの病弊は、財務省だけではなく、他の省庁、そのなかでも、とくに旧経済企画庁および現在の内閣府のスタッフたちに顕著に見られるように思われる。

たとえば、筆者(丹羽)が、これまでも、本誌掲載の旧稿をはじめ数多くの著作で、幾度となく明確に指摘し、厳しく批判してきたように、平成不況がはじまった頃からは、旧経済企画庁ならびに現内閣府の経済分析スタッフたちは、デフレ・ギャップの正しい把握とその計測を行なうことを怠ってきた。

ただ単に怠ってきただけではなく、紛らわしくミス・リーディングな数字――それも、しばしば誤った仕方で導きだされた数字――が弄されて、あたかも平成不況の時期においてさえも、わが国の経済においては、デフレ・ギャップなどはほとんど発現しなかったかのごとく、ドレッシングが行なわれてきたのである。そのことによって、わが国の経済における巨大なデフレ・ギャップの発生と累増、ならびに、それによって過去の四半世紀を通じて合計5000兆円もの膨大な潜在実質GDPが実現されえずに、空しく、わが国から失われてしまったという大惨害が、巧妙に隠蔽・秘匿された形となってきたのである。このことについては、昨年の春に上梓された筆者(丹羽)の著書『新正統派ケインズ政策論の基礎』(学術出版会刊)において、経済理論的にも実証的にもきわめて厳密かつ詳細に分析と批判がなされているのであるが、実は、この拙著は、プロのエコノミストたちのあいだでは、かなり広く読まれている本であるから、内閣府の経済分析スタッフ諸氏のなかでも、幾人かは、筆者のこの本のことを知ってくれているはずなのである。

プロのエコノミストではなくても、つまり、一般の読者諸氏でも、内閣府が、平成不況期に入ってから近年にまでにいたる時期のわが国について、その失業の大部分がほとんど不況とは無関係だったとして、「不況によって発生してきた失業」の率を、わずかにゼロ・パーセントないし1パーセント前後(労働力人口に対する比率)でしかなかったとしていることを知れば、びっくり仰天されるはずである(たとえば内閣府『経済財政白書』平成13年版34ページ、同15年版29ページを参照)。内閣府のそのような見解は、やや読み取りにくい表現にはなっているものの、平成18年版の『経済財政白書』にいたっても、なお固執され続けているのである。激烈をきわめてきた平成不況期において、「不況によって発生した失業」がそれほどまでに僅かであったなどということは、ありうることではなかったはずである。

実は、そのような奇怪な失業率の計算が、内閣府のスタッフたちの手によって行なわれてきたのは、かれらが、意味のすこぶるあいまいな関数の推定に拠ってきたことと、そして、その関数から導出された数式の解釈とその利用方法においても、決定的に大きな誤り(故意になされた誤りか?)をおかしてきたからである。そして、この誤った算定を主要な論拠の一つとして、内閣府は、日本経済におけるデフレ・ギャップの存在を、事実上、否定してしまってきたわけである(このことについても、上記の、昨年春に上梓した拙著、226〜244ページにおいて、きわめて詳細・厳密に論証がなされている)。

もう一つ、ここで指摘しておきたいことは、「乗数効果」についての問題点である。平成不況期に入ってから現在まで、旧経済企画庁および現内閣府の経済分析スタッフたちは、わが国の経済における「乗数効果」がきわめて微弱になってしまっているとして、その「乗数値」は、せいぜい1.3ぐらいまでの小さな値でしかなく、したがって、ケインズ的な総需要政策は「無益・無用」であるとする見解を、事実上の公式スタンスとしてきた。

しかし、言うまでもなく、国民所得ないしGDPの形成は「乗数効果」によってこそなされているのである。すなわち、「乗数効果」が微弱だとする旧経済企画庁および現内閣府の見解に立脚するとすれば、年額500兆円という現在のわが国のGDPの形成は、まったく説明が不可能になってしまうのである。そして、わが国の「GDP勘定」の統計をすこし念入りに観察すれば、わが国の経済において現実に作働している「乗数効果」は十分に強力であり、その「乗数値」が、少なくとも2.5程度というかなり大きな数値であるはずだということが、容易に見出せるのである(このような分析も、上掲の拙著において、きわめて詳細に論述してある)。

先年、旧経済企画庁の分析作業グループが、上記の1.3という非常に小さな「乗数値」を、計量モデルによるシミュレーション分析によって導出したということは有名なことであり、現内閣府のスタッフたちも、その結果を踏襲しているようである。そして、日銀の経済分析スタッフや民間の多くのエコノミストたちも、それに追随してしまっているのが現状である。しかし、GDPという最も重要な経済指標との整合性を持ちえないような「乗数値」を算出してしまったようなシミュレーションは、そもそも、経済分析の名に値しないであろう。また、そのような妥当性を欠いた数値しか算定しえないような計量モデルと、その利用の仕方は、まったくの落第・失格であると言わねばならないはずである。すなわち、「乗数効果」が「大きいか、小さいか?」の問題、ならびに、それと不可分な関係にあるケインズ的総需要政策が「有益・有用か?」、それとも、「無益・無用か?」という重大な政策問題について、まったくの本末転倒の思考パターンが、旧経済企画庁および現内閣府のエコノミストたちのあいだでは、まかり通ってきたわけである。

実は、規制緩和の効果は不明のままなのだ

内閣府の経済分析スタッフたちの仕事ぶりについては、最近、さらに、もう一つ、懸念せざるをえないような下記のごとき事態が起こっている。

年末の12月21日、内閣府は「構造改革評価報告書6 」という文書を公表したのであるが、それには、「近年の規制改革の進捗と生産性の関係」というサブタイトルが付けられていた。このことでもわかるように、この文書は、平成7年以降の10年間にわたって実施されてきた規制緩和政策が、わが国の産業の生産性にもたらした効果を評価した調査作業の報告書であった。『日本経済新聞』12月22日付朝刊には、大きなスペースを割いて、この報告書についての紹介・解説の記事が掲載されていたが、その記事では、過去10年間のわが国の産業の総合的な生産性が、規制緩和政策の効果でかなり大幅に向上したということが、この報告書によって実証的に確認されたものであるとして、肯定的な評価が与えられていた。しかし、実は、筆者自身(丹羽)は、この報告書を内閣府のホームページからダウン・ロードして読んでみて(全文で53ページにも達する大報告書であった)、以下に述べるような事情から、まさに唖然とせざるをえないような空しさを感じたのである。

内閣府のこの調査プロジェクトでは、まず、最初の基本的な作業段階として、平成7年以降の10年間に政府によって種々様々な形で実施されてきた諸産業に対する規制緩和政策を、それらのそれぞれの特性の差異や対象業種別によってグループ分けして整理し、それぞれに適当なウェートを付して加重平均することにより、業種別の「規制指標」の時系列インデックスが算定されている。そして、この調査プロジェクトのメインの作業段階として、産業の「総合的な生産性」向上率の数値系列をこの「規制指標」(規制緩和指標)インデックスの数値系列によって説明しうるような関数を、業種別に、そして、マクロ的に全産業を総合して見た場合についても、推計しようとする試みがなされたのである。なお、本稿のここで、一応、「総合的な生産性」として言及しておいた数値系列としては、この内閣府の調査プロジェクトでは、資本設備と労働という二つの本源的な生産要素の生産性を総合して導出したTFP(総合的要素生産性)と呼ばれている指標が用いられている。

いずれにせよ、内閣府のこのプロジェクトでは、規制緩和政策の実施によって産業の生産性向上の効果が得られたと判定しうるような実証的な裏づけとするために、上記のような関数の推計が、推測統計学の手法を用いて行なわれたわけである。そして、内閣府のこの報告書では、規制緩和政策がもたらしたと思われるところの、わが国の産業におけるかなり大幅な生産性向上の効果が、あたかも、このような調査作業によって実際に確認されえたかのごとく、結論されているのである。

しかし、筆者自身(丹羽)は、この内閣府の報告書を読んでみたとき、一瞬、「わが目を疑う」ような想いにかられた。なぜかといえば、この内閣府の調査プロジェクトのメインの仕事であり、報告書全文の裏づけとなっているはずの、産業の「総合的な生産性」(TFP)の向上率を「規制指標」(規制緩和指標)インデックスによって説明しようとした上記の諸関数の推定結果が、いずれも、あまりにも悪く、そのフィットが信じられないほどにひどいものであったからである。なにしろ、内閣府のこの調査プロジェクトで推計されたこの種の諸関数では、いずれも、そのフィットの程度を示す「決定係数」が、最大でやっと0.1、そして、ほとんどの関数では、それが0.08とか、0.05とか、0.03といった極端に低い値として示されているのである。「決定係数」の平方根が「相関係数」であるから、これらの諸関数の「相関係数」の値も、ことごとく、0.3ないしそれ以下のきわめて小さな値であるということである。

推測統計学的な手法で推計された関数については、その「相関係数」の値が0.8を上回るぐらいにまで高くならなければ、実際問題としては、その関数は使い物にならないというのが、統計的な分析作業に親しんでいる研究者たちの常識であろう。ましてや、「決定係数」が0.1程度以下、「相関係数」が0.3程度以下などというのでは、論外である。しかも、この内閣府の報告書では、そのように推定された諸関数についての、その他の方式での信頼性検定をも行なった算定結果であるはずの「t値」や「DW値」が、示されてはいないのである(これらの検定結果もきちんと示すのが、通常のフェアな学術的慣行である)。

ここまで指摘してきたことによって、読者諸氏も、すでに、明らかに悟ってしまわれたことであろうが、要するに、内閣府のこの調査プロジェクトによるこのような関数推計の結果から正直に読み取りうる結論は、規制緩和政策と産業の生産性向上(TFPの向上)とのあいだに有意な関数関係があるとは、とうてい判定できはしないということなのである。しかも、このTFPの向上とは、経済学的には「技術進歩」にほかならないと解釈されているのであるから、規制緩和政策が産業の技術進歩をもたらす効果があったとも、言いえないということになるわけである。

ところが、このような統計学的な分析による解釈とはまったく正反対に、内閣府のこの報告書では、この調査作業によって、規制緩和政策が産業の生産性向上効果をかなり大きく持っていたことが実証されえたと強調しているのである。不可解きわまる話である。筆者(丹羽)は、ここでも、ケインズ的総需要政策を捨てて新古典派的な発想による規制緩和政策に力点を置いてきたここ10年あまりの歴代政権の政策スタンスに、なんとか追従・迎合しようとして、統計的な計測結果をも偽って解釈することさえもあえてするほどに努めてやまない官庁エコノミストたちの、歪みきった行動パターンを、感じ取らざるをえないのである。

救国の秘策を実現するために

以上、本稿でつぶさに吟味してきたことから、われわれ民間人にも痛いほどにわかることは、いまや、わが国の官庁エコノミストたちの非常に多くが、知的な面で、はなはだしく退廃し荒れすさんだ仕事のやり方をしているように思われるということである。本稿で上述したような、財務省によって作成された新年度政府予算案の、憂慮にたえないウィンドウ・ドレッシング的な非現実性や、内閣府による様々な「故意に誤りをおかしている」かのごとき偏向しきった経済分析などは、その氷山の一角にすぎないであろう。

このような知的退廃と荒廃をもたらした基本的な原因は、結局、米国の経済思想界からグローバルに発信されてきた新古典派的「反ケインズ主義」のニヒリズムによって、わが国の非常に多くの官庁エコノミストたちがその支配的影響を受け、そして、そのような影響をとくに強く受けてきたような人たちが一大勢力を形成しつつ、わが国のここ10年あまりの歴代内閣の経済政策をも動かしてきたという状況が、厳として存在してきたということであろう。そのような状況にあっては、大多数の官庁エコノミストにとっては、そのようなエスタブリッシュメントたちのスタンスに、ひたすらに迎合・追随することを余儀なくされているといった感じを持たざるをえなくなったことであろう。そうなってくれば、官庁エコノミストの世界が、本稿でかいま見てきたような知的退廃と荒廃のるつぼに堕していくことになったのも、いわば、必然的な流れであったであろう。

言うまでもなく、このように知的に退廃・荒廃した現在の官庁エコノミストたちの世界からは、わが国の財政を再建し、経済を停滞状態から脱却させて成長に向かわせるような合理的な政策案が立案されうるとは、とうてい思われない。むしろ、そのような合理的な政策立案は、タブー視されているのが、現状であろう。

しかし、実は、新古典派的な「反ケインズ主義」ニヒリズムの迷夢から脱却し、真に正統派的な経済学の分析に立脚して工夫をめぐらせば、国民にもまったく負担をかけずに、しかも、わが国の政府財政を一挙に再建し、さらには、わが国の経済をもたくましい興隆軌道に速やかに乗せうるような、そして、当然のことながら、わが国の国威の衰退を挽回しうるような、合理的な経済政策を具体的に策定・実施することは、現在においても、むしろ、きわめて容易に実現可能なことなのである。筆者(丹羽)は、10年以上も以前から、そのような「救国の秘策」を具体的な形で提言し続けてきた者である。最近では、本誌の昨年10月号に、そのような「救国の秘策」のマニフェストを示しておいた。

もちろん、わが国の官庁エコノミストのなかにも、今もなお、職業的良心と、優れた能力と、そして、健全な志を失わないでいる有為な人士が居るにちがいない。民間・在野のエコノミストたちや学界の経済学者たちのなかにも、そのような人材が、さらに数多く存在しているであろう。したがって、たとえば民間の有力なシンク・タンクなどが決起して、そのような有為なエコノミストの人材たちを結集し、偏向していない正しい方法による重要経済指標(たとえば「デフレ・ギャップ」)の算定と、それに基づいた信頼度の高い経済分析を活発に行ない、その成果に立脚して、筆者(丹羽)が提言してきたような「救国の秘策」の断行を政界に強く要望してやまないといった努力を惜しまないならば、わが国の「亡国の危機」を打開しうる一つの大道が拓かれうる可能性が生まれてくるであろう。筆者としては、そのような運動が、力強く始まることを、衷心より望んでやまないしだいである。

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