内閣府の「需給ギャップ」推計値は、誤りと欺瞞の極致だ!

『月刊日本』平成19年9月号

日本経済再生政策提言フォーラム会長
                  経済学博士 丹羽春喜

需要超過という内閣府発表ではあったが

5月29日付け新聞各紙の朝刊第1面は、その前日の松岡農相の自死についての記事で埋めつくされていた。ただ、『日本経済新聞』のみは、その第1面で、松岡農相についての記事と並んで、かなり大きなスペースをとって、「需給ギャップ、2期連続プラス」という記事を掲げていた。つまり、内閣府がその前日の5月28日に公表したところによると、わが国経済の「需給ギャップ」が、本年の1―3月期においてはプラス、すなわち需要が供給よりも0.7パーセント超過していたという推計値となり、そのような需要超過の状態は、昨年の10―12月期の0.5パーセントに次いで2期連続であったとのことであった。さらに、同紙6月19日付け朝刊は、内閣府が、その前日の6月18日に、本年1―3月期の「需給ギャップ」における需要超過率を、0.9パーセントに上向き改定したと報じた。
  エコノミストたちの多くも、一般の読者たちも、これらの記事を読んで、わが国の経済の不況・停滞からの脱却が、ますます本格化してきたという印象を受け、喜ばしく感じたのではないかと思われる。しかし、以下に述べるように、ことは、それほど簡単ではないのである。

やってはならない計算をやっていた旧経企庁

まず、同紙のこの2つの記事で「需給ギャップ」として掲載・解説されている指標は、内閣府の『経済財政白書』などでは、むしろ「GDPギャップ」(デフレ・ギャップ)と呼ばれていることが多いということに、留意する必要があろう。
  ずっと以前、1960年代、70年代のころには、旧経済企画庁は、マクロ的に完全雇用・完全操業の状態を想定した場合に可能と推定されうるマキシマムな「潜在的実質GNP」に比べて、「実際の実質GNP」がどれだけ下回っているかという意味での、オーソドックスかつ妥当なコンセプトでの「デフレ・ギャップ」を推計し、当時の『経済白書』の各年次版などでそれを示していた。しかし、1990年代の「平成不況」の時期に入ってからは、旧経済企画庁は、慢性的に低迷を続ける状況となった実質GDPの実際値それ自体の「でこぼこをならした」平均的な趨勢値を算定し、そのような「平均的な趨勢値」からの年々の実質GDP実際値の偏差を「GDPギャップ」(デフレ・ギャップ)だと称して『経済白書』などに示すというやり方をするようになった。
  しかし、そのような実質GDPの「でこぼこをならした」平均的な趨勢値と実際の値との食い違いを測ったというだけでは、それは、短期的な当面の「需給ギャップ」の指標にさえもならない。なぜならば、誰でもがすぐにわかるように、それが食い違っていたからといって、需給が不均衡であったとは必ずしも言えないし、また、食い違いが無く一致していたからといって、需給が均衡していたとも言えないからである。しかも、それは、近年までの十年ないし十数年ほどの期間における実質GDP実際値それ自体の「平均的な趨勢線」からの年々の偏差を算定しただけのものであったから、そのような偏差は、いずれにしても、ごく小幅な(せいぜい数パーセントまでの)ものでしかなかった。もとより、とくに「平成不況期」に入ってから近年までのわが国経済では、そのような実質GDP実際値の「平均的な趨勢線」の値が完全雇用・完全操業を想定した場合の「潜在的実質GDP」の値と一致するような傾向は絶無であったのである。したがって、このような小幅の偏差を「GDPギャップ」(デフレ・ギャップ)と見なすなどということは、ぜったいに行なってはならないはずのことであった。にもかかわらず、旧経済企画庁は、そのような誤ったやり方を、あえて行なっていたのであった。
  かくて、1990年代に入ってからの『経済白書』各年次版では、「平成不況」の深刻・激烈な状況が現実であったにもかかわらず、デフレ・ギャップ(GDPギャップ)の発生がきわめてわずかであったとされ、90年代のわが国の経済では「不況などは生じていなかった」かのごとく見えるような、現実離れのミス・リーディングな数値が、示され続けてきたのである。だからこそ、筆者(丹羽)は、多くの著作を通じて、当時から、このことを痛烈に批判してきたのであった。

内閣府による建て前としての算定方法改定

ところが、平成13年(2001年)から旧経済企画庁を吸収して新発足した内閣府が平成13年12月に出した『経済財政白書』(平成13年版)では、「GDPギャップ」(デフレ・ギャップ)の算定方法における、一見、重要な変更と思われることが行なわれ、それが、以後の同白書の各年次版でも踏襲されることになった。
  すなわち、それまでの、「平均的な趨勢値」からの実質GDPの実際値の偏差を測るのではなく、「潜在的な実質GDP」の水準から見て、実際の実質GDPの水準がどれだけ離れているかを計測することに、改められたのである。この場合、「潜在的な実質GDP」は、建て前としては、企業が資本設備を遊休させないで過不足なく稼動させ、労働力も完全雇用の状態(求人と求職のミス・マッチによる摩擦的失業を除けば)となったときに達成されうるはずの、実質GDP水準であると定義されたのである(同白書平成13年版、119〜120、226〜228ページ)。
  上記の『日本経済新聞』の記事に掲げられていた「需給ギャップ」のグラフに注記されている計算方法も、これと全く同じであるから、同記事での「需給ギャップ」の数値は、各年次版の『経済財政白書』シリーズに示されてきた「GDPギャップ」概念による算定値を示したものであったことが、明らかである。また、そのような概念定義である以上は、建て前としては、内閣府が「GDPギャップ」あるいは「需給ギャップ」と呼んでいることが多いこの指標は、オーソドックスな経済学的意味での「デフレ・ギャップ」に準じるものであると考えることができるわけである(事実、内閣府も、上記の白書などで、「需給ギャップ」ないし「GDPギャップ」を「デフレ・ギャップ」と呼称して記述している場合もあるのである)。

矛盾!インフレ・ギャップ という推計と物価低落の現実

ところが、上記の『日本経済新聞』の記事では、この内閣府公表の「需給ギャップ」(GDPギャップ)を、国内の労働力や生産設備を平均的に使った場合に形成されうるであろう「潜在的な国内総生産(GDP)=供給力」と実際のGDP(=需要)との差であると、解説されている。これは、「平均的に使った場合」という表現からすぐに推論せざるをえないように、明らかに、上記の建て前とは、かなりズレている。確かに、本当のところでは、今日まで内閣府で行なわれてきた実際の計算は、そのようにズレたやり方のものとなっているのが実情である(内閣府自身も、そのことを公に示唆するようになってきている)。しかし、このことの意味することについては、本稿の後段で、もう一度、よく考察することにして、ここでは、先ず、内閣府公表の「潜在GDP」ならびに「GDPギャップ」が建て前どおりに計算されていると前提した場合に、諸種の経済データとつじつまが合うのかどうか──つまり、経済理論的に矛盾が無いかどうか、整合性が保たれているかどうか──を実証的に吟味することから、分析をはじめていくことにしたい。
  内閣府は、「実際のGDP額」のほうが「潜在GDP額」よりも下回ったとき──すなわち、デフレ・ギャップが算定されたとき──には、「GDPギャップ」がマイナスになっていると表現し、その逆に、「実際のGDP額」のほうが「潜在GDP額」よりも上回って算定されたようなときには、「GDPギャップ」がプラスになっていると表現してきた。もちろん、プラスの場合は、このギャップは、インフレ・ギャップとして算定されたことになるわけである。つまり、上記『日本経済新聞』が報じた内閣府6月18日の公表は、昨年の10―12月期0.5パーセント、本年の1―3月期0.9パーセントという比較的わずかな比率であったとはいえ、インフレ・ギャップが最近のわが国の経済において発生し、そのギャップ率が拡大しているとして、デフレ・ギャップは消失してしまったと示唆したわけである。
  しかし、現在は戦時中のような価格統制が行なわれている時代ではないのであるから、たとえ僅かな比率であるとはいえ、もしも、本当にインフレ・ギャップが発生し、しかも、そのギャップ率が拡大しているのであれば、それに見合うだけの物価上昇、あるいは、品不足による全般的な在庫の減少が、生じていなければならない。これは、鉄則である。ところが、本年の1―3月期においては、消費者物価指数も、GDPデフレーター(名目GDPを実質値に換算するときに用いる総合物価指数)も、ともに、それとは逆に、むしろ低下傾向を記録している。在庫の全般的減少といったことも、季節的変動を除いて計算した場合には、生じてはいない。このことを見ただけでも、内閣府が推計した「需給ギャップ」なる数値が、まったく信頼しえないものであることは、明らかである。

高度成長期でも100%の操業率などは無かった

上記で、1990年代とは異なって、かつての1960年代、70年代には、旧経済企画庁が、経済学的に有意味な、オーソドックスな概念でのデフレ・ギャップを計測していたことを指摘しておいたが、当時のそのような計測結果を見てみると、高度成長の繁栄が持続していたその頃でも、どの年次においても、4〜6パーセント程度のデフレ・ギャップが存在していたという算定になっていた。つまり、あの高度成長時代でさえも、現実の経済では、マクロ的に100パーセントの完全雇用・完全操業が実現されるようなことは、まず、ありえないことであったのである。すなわち、労働力と企業資本設備の総合で95パーセント前後の操業率に達していれば、ほぼ満足しうる程度の繁栄状態であったということである。このことを想起してみても、上記5月28日と6月18日の内閣府発表「需給ギャップ」の推定値が、きわめて非現実的な算定であったことが明らかになるわけである。
  1970年(昭和45年)といえば、高度成長時代も終わりに近づいた頃であったが、当時の『経済白書』を参照してみると、同年のわが国の経済社会においては、労働力についてはほぼ完全雇用(求人と求職とのミス・マッチによる摩擦的な失業は別として)、そして、企業資本設備の稼動率をも計算に入れて、労働と資本とを総合して算定した場合でも、94.5パーセントという操業率(すなわち、デフレ・ギャップは 5.5パーセント)が現実に達成されていたという繁栄状態であった。いわば、このような1970年当時の状況は、内閣府が建て前として想定することにしたところの、労働力については完全雇用、企業資本設備も遊休の無い過不足なき高稼動という条件に、十分に近似していたと考えることができるであろう。
  総務省(旧総理府)統計局および内閣府(および旧経済企画庁)による公表統計数字によると、その1970年からバブル期ピークの1990年(平成2年)までに、わが国の労働力人口は1.24 倍に、そして、企業資本設備の総量(廃棄設備は控除)は4.89倍に増加した。さらに、この1990年から本年(2007年、平成19年)の初頭までの期間に、労働力人口が1.04倍、企業資本設備の総量が1.8倍に増加している。したがって、1970年から本年初頭までの全期間では、労働力人口が1.29倍、企業資本設備の総量が8.8倍に増加したと推計されているわけである。
  このような労働力人口と企業資本設備総量の増加率倍率の数字が、労働力の完全雇用、企業資本設備も過不足ない高稼動に近い経済状態であった1970年からの積算値であるということに、十分に留意していただきたい。すなわち、この1.29倍および8.8倍という伸び率の数字は、上記の、やはり労働力の完全雇用と過不足ない資本設備稼働の状態という想定に基づいて内閣府によって算定される建て前であるはずの「潜在GDP」、ならびに、それに基づいて算出されて本年5月28日と6月18日に公表されることになったはず(・・)の「需給ギャップ」ないし「GDPギャップ」(デフレ・ギャップ)の数値とも、整合性が保たれていなければならないはずなのである。以下、この点を、チェックしてみることにしよう。

潜在的に可能な総合的要素投入量の算定

経済学では、労働力と企業資本設備という2つの本源的な生産要素の投入量をアグリゲート(合算統合)した「総合的要素投入量」の指標を算定して、それと、生産量の指標であるGDPを対比して諸種の分析を行なう。これが、有名な「生産関数」による分析手法の基本的パラダイム(モデル的考え方)である。そして、労働力と企業資本設備という2つの本源的な生産要素の投入量をアグリゲートして1本の「総合的要素投入量」の指標を算出するにさいしては、この2つの指標を加重幾何平均によって一本化するという方法が用いられる。この場合の「加重」すなわち「ウェート」としては、GDP(すなわち、減価償却の額をも含めたグロス・タームでの国民所得額)が労働と資本にどのように分配されているかを示す「分配率」の数字が用いられている(丹羽著『新正統派ケインズ政策論の基礎』、学術出版会、平成18年刊、268〜279ページを参照)。
  さて、この「分配率」であるが、1970年当時では、労働0.42、資本0.58という構成比であった。1970年代の半ばごろからは労働への分配率がかなり高くなり、2000年(平成12年)前後まで、だいたい、労働0.54、資本0.46ぐらいの構成比が安定的に持続してきていた。2000年代に入ってからは労働への分配率が幾分か低下して、最近では、労働0.52、資本0.48といった構成比となっている。
  上記の1970年より1990年までの期間における、労働力人口1.24倍、企業資本設備量4.89倍という2つの伸び率(倍率)の数字を、労働0.42、資本0.58という1970年の分配率をウェートとした加重幾何平均で1つにまとめると、2.8倍という値になる。これが、労働力の完全雇用と企業資本設備の過不足なき高操業という1970年と同様な状態を想定したうえで、このようなウェートを適用した計算で算定されたところの、1970→1990年の期間における潜在的に可能であったはずの「総合的要素投入量」の伸び率であったというわけである。1970年代の半ばごろより2000年ごろまでの、あまり変動せずに安定的に保たれていた標準的「分配率」、すなわち、労働0.54、資本0.46というウェート構成も適用して、同様な計算を行なってみると、同じく潜在的に可能であったはずの「総合的要素投入量」の同期間における伸び率は、2.3倍という算定結果になる。
  1990年から本年(2007年)初頭までの時期についても、同じく、この期間における労働力人口1.04倍、企業資本設備量1.8倍という2項目についての2つの増加倍率を、上記の標準的「分配率」である労働0.54、資本0.46というウェート構成、および、最近年の「分配率」である労働0.52、資本0.48というウェート構成を用いて、それぞれに、上記と同じ加重幾何平均による計算方法でアグリゲートし、同様な潜在的「総合的要素投入量」の伸びの倍率を算定してみると、1.34倍、および、1.35倍となる。
  1970→1990年についての2.3〜2.8 倍という値と、1990→2007年初頭についての1.34〜1.35倍という値をリンク(連接)すると、1970→2007年初頭という全期間にわたっての、3.1〜3.8倍という伸び倍率の値が得られる。これは、1970年当時のわが国の経済で実際に達成されていたところの、労働力の完全雇用と企業資本設備の過不足のない高操業に近かったような状態が、今日においても実現されるためには、労働就業量と企業資本設備稼動量という2つの本源的な生産要素の投入量を総合した「総合的要素投入量」が、1970年の該当値にくらべて、2007年の今日では、この3.1〜3.8倍という潜在的に可能であるはずの倍率で増えていなければならないということを、意味しているわけである。

平均労働時間の問題

ただ、ここで、一つ、忘れずに吟味しておくべき問題がある。それは、平均労働時間数の変動をどう考えるべきかという問題である。すなわち、「就業者1人当たりの週間平均労働時間数」は、1970年当時の該当値に比べて近年では1割あまり短くなっている。そのことが社会全体での就業者の総数によって働かれる年間総労働時間数をそれだけ相対的に低くするという影響を、現実に及ぼしているであろうということは否定しえないところである。しかし、常識的にすぐに推量しうるように、日本経済の状況が、現在のような低成長の停滞状態から脱却しえて、完全雇用・完全操業に近い状態となり、成長率も高くなったような場合には、その随伴現象として、残業が増えたり、パートタイマーがフルタイム勤務の定職に就いたりすることによって、平均労働時間は、再び、長くなるであろう。また、リストラ等で退職して、再就職もあきらめ、「失業者としても登録されず、労働力人口からも除外されていた」ような無職の人たちも就業するようになれば、「労働力人口」(すなわち、「就業者数+失業者数」)そのものも増加することになる。
  したがって、1970年当時の、「労働力の完全雇用と企業資本設備の過不足なき高操業」に近いような状態が、本年(2007年)1―3月期のわが国の経済においても再現されえたとした場合を想定するものとするならば、当然のこととして、1970年における就業者総数に労働力人口の1970年→2007年初の増加倍率1.29倍(上記)を乗じたほどの人数の就業者数によって、同じく1970年当時と同じくらいの「平均週間労働時間」で働かれているような状態に匹敵するほどの年間総労働力投入量の水準が、年率換算ベースでは、2007年1―3月期に実現されていたはずだということも、想定しなければならないことになるわけである。本稿の上記の諸計算は、まさに、このような想定に基づいてなされたわけである。

 36年前に比べて技術水準が大幅に劣化とは?

他方、わが国の実質GDPは、内閣府の公表に基づいて計算すると、1970→1990年には 2.32倍、1990→2007年(概算)では1.24倍に増えている。したがって、1970→2007年(概算)の全期間では2.88倍の増加であったわけである。ところが、上記の6月18日の内閣府の公表によると、本年(2007年)1―3 月期においては、実際のGDPの水準が、「潜在GDP」の水準よりも0.9パーセント上回って「需要超過」の状態であったとされている。上記でも指摘しておいたように、この「潜在GDP」は、建て前としては、労働力の完全雇用と企業資本設備の過不足ない高稼働という状態を想定して内閣府が推計したはずのものである。だとすると、そのような完全雇用・完全操業の状態に近い総生産を表現しているはずの「潜在GDP」の本年1―3 月期の実質水準は、1970年比では2.85倍(2.88÷1.009 = 2.85)のレベルであったことになる。
  しかしながら、本年1―3 月期において、同じく労働力の完全雇用と企業資本設備の過不足なき高操業という状態の達成を想定した場合に潜在的に必要な「総合的要素投入量」が、上述のごとく1970年比で3.1〜3.8倍の量であるのに、同様に完全雇用・完全操業に近い状態の達成を想定して推計されたはずの「潜在GDP」の実質水準が、1970年比で2.85倍にすぎないということは、きわめて矛盾した非現実的なことである。なぜならば、潜在的に必要な「総合的要素投入量」(労働力および資本設備の総合投入量)の伸び率に比べて、そのような投入から得られる産出であるはずの「潜在GDP」の実質伸び率が、あまりにも低く算定されていることになるからである。すなわち、労働と資本設備という2つの本源的生産要素の生産性を総合した「総合的要素生産性」──いわゆるTFP──の本年(2007年)1―3 月期の水準が、36年も以前の1970年の該当値に比べて8パーセント低下(2.85÷3.1=0.92)している、あるいは25パーセントも下回ってしまっている(2.85÷3.8=0.75)と、算定されていることになるからである。
  経済学では、この TFPの向上率を「技術進歩率」と同義であると見なしているのであるから、このようにTFPが低下しているということであれば、現在のわが国の経済においては、36年前に比べて技術水準が大幅に劣化してしまっているということになってしまう。 もちろん、そのようなことが現実に生じているはずがない。このような、まったく信じ難いような不自然な計算結果になるということは、結局、内閣府の「潜在GDP」の計算、したがって、「需給ギャップ」ないし「GDPギャップ」(デフレ・ギャップ)の算定が、誤りに満ちているということを、いかんなく物語っているものにほかならない。
  すなわち、本年1―3 月期のわが国の経済においては、労働力の完全雇用と企業資本設備の過不足なき高操業といった望ましい状態などは、全然、実現しておらず、したがって、いぜんとして大規模なデフレ・ギャップが居座っているのが、まぎれもない実情であるということである。要するに、5月28日および6月18日の内閣府の発表で示されたような「今や、わが国の経済では、デフレ・ギャップという意味でのGDPギャップは消失してしまっており、むしろ、インフレ・ギャップが発生している」とする推計結果なるものは、まったくの誤謬ないし虚偽なのである。やはり、実際には、本誌の本年6月号でも筆者(丹羽)が精密な計測結果をグラフで示しておいたように、現在のわが国経済では、「潜在実質GDP」に比べて、実際の実質GDPは、今なお、はるかに低い水準にとどまっており、厖大なデフレ・ギャップが存在し続けているのである(そのような計算で、はじめてTFPは妥当な値になりうる)。

バブル期でもデフレ・ギャップは消失せず!

同様な分析を、1970→1990年の時期についても行なってみよう。もしも、いわゆるバブルのピークであった1990年のわが国の経済が、1970年と同様な完全雇用・完全操業に近い状態であったと想定した場合には、上記のごとく、労働力と企業資本設備を総合した「総合的要素投入量」は、1970→1990年に2.3倍ないし2.8倍に増加していたことになっていたはずだという計算になっている。ところが、わが国の実質GDPは1970→1990年の期間に2.3倍の増加であったとされているのである(同じく内閣府公表のGDP統計による)。
  すなわち、「総合的要素投入量」の伸び率が2.3倍という数字の場合には、実質GDPと同じ伸び率(2.3倍)になるわけであるから、総合的要素生産性──すなわちTFP──の伸び率はゼロ、すなわち技術進歩率ゼロということになる。さらに、「総合的要素投入量」の伸び率2.8倍という数字で考えた場合には、この1970→1990年という期間に、TFPが、したがって総合的な技術水準が、マクロ的に18パーセントも低下(2.3÷2.8 = 0.82)したことになってしまう。
  もちろん、このようなことが実際に起こっていたはずはない。なにしろ、1970→1990年というこの時期には、わが国が、世界に冠たるハイテク産業を確立しえて、その「ハイテク製品」が世界市場を席巻したことは厳然たる歴史的事実であった。したがって、この時期のわが国の技術水準が、それほどまでに決定的に低迷・劣化したなどということは、絶対にありうることではなかった。
  ということは、バブルが爛熟状態に達していた1990年においてさえも、実情は、1970年のような完全雇用・完全操業に近い状況には、まだまだ、及んではいなかったということである。事実、バブル期(1988〜90年)には、マネー・ゲームこそ盛行をきわめてはいたが、実体経済の景況は、いま一つといったところであった。 要するに、上述の簡単な分析でも、たちどころに判明したように、そして、やはり、本誌本年6月号で筆者(丹羽)が精密な推計結果としてグラフで示しておいたように、高度成長がストップして低成長時代になってしまった1970年代の半ば以降のわが国の経済において発生・累増してきたデフレ・ギャップは、バブル期においても、その規模があまり縮小しなかったのである(拡大・累増のテンポが多少おさえられた程度であった)。そのような算定値であってこそ、この時期のTFPは妥当な数値となりうるわけである。そして、その後の「平成不況期」に入ってからは、デフレ・ギャップの規模は、飛躍的に巨大化するにいたって、現在にいたっている。 まことに遺憾なことに、旧経済企画庁も現内閣府も、こういった実情をありのままに計測することを怠り、さらには、それを隠蔽・秘匿しようとさえしているかのようなスタンスをとってきているのである。

旧経企庁と同じ誤りに陥った内閣府

実のところは、平成13年から上記のような計測方法の変更がなされたはずであったにもかかわらず、それ以降、現在まで、内閣府による「GDPギャップ」(デフレ・ギャップ)の推定値は、平成12年までの旧経済企画庁によって示されていた算定結果と、ほとんど同じ数値系列として続いてきている。
  その理由は、建て前としての「労働力の完全雇用、および、企業資本設備の遊休をさせないような過不足ない稼動」という想定での、労働力と資本設備の「マキシマムな可能量に近い投入量」の数字が、本来的には現状よりもずっと高い「潜在的に可能な水準」として見積もられるべきはずであったにもかかわらず、現実には、「平成不況」の発生から今日までの不況・停滞が続いてきた現状とほとんど変わらないほどに、低い水準のものとして見積もられ続けてきたからである。したがって、それによって算出された「潜在実質GDP」の水準も、事実上、低迷を続けてきている年々の実質GDPの実際値の「でこぼこをならした」平均的な趨勢値と同じような低い数値系列となってしまい、結局、「GDPギャップ」(デフレ・ギャップ)の推定値も、ごく小幅のギャップを示すものとして、そして、往々にして、不況・停滞の最中であってさえ、インフレ・ギャップが発生しているかのごとき非現実的な数値を示すものとして、算定されてきたのである。上述の本年5月28日と6月18日の公表数字も、まさに、それであった。
  本稿では紙幅の制約により詳述しえないが、筆者(丹羽)が綿密に吟味してみたところでは、内閣府によるそのようなミス・リーディングな計算は、主として、
  (1)経済の不況・低迷による失業がきわめて僅かしか発生してこなかったと
    する誤った失業率の数値を捻出(数式の誤りも含む)して用いていること、
  (2)企業資本設備の「遊休を生じさせずに可能な過不足ない潜在的稼働率」
    を算定して用いるべきはずのところを、逆に、「平成不況期」に入ってから
    のきわめて低い値で持続してきた実際の稼働率の平均値に近い数字を使用
    してきたこと、そして、
  (3)労働力と企業資本設備という2つの本源的生産要素の潜在的投入量を加
    重幾何平均でアグリゲート(合算統合)するときのウェートとなるべき
    「労働と資本への分配率」を、GDP勘定に内含されている正しい数字とは
    大きく食い違った別の数字に換えてしまっていること、
という3つの問題点(欠陥)に由来していることが判明したのである(上掲、丹羽著『新正統派ケインズ政策論の基礎』、226〜244ページ参照)。
すなわち、内閣府の「需給ギャップ」ないし「GDPギャップ」(デフレ・ギャップ)の計算は、建て前と実情とが大きく離反してきているのである。最近では、そのことを、内閣府自身が半ば公然と認めるようになってきている。 だからこそ、上記『日本経済新聞』の記事でも、労働力と生産設備などを平均的に使って達成できるGDPが「潜在GDP」であると、解説されているのであろう。この「平均的に」とは、「平成不況期」に入ってから今日までのマクロ的な不振・停滞が続いてきた実績値の平均値に依拠するという意味になるから、結局、内閣府も、1990年代の旧経済企画庁の犯した誤りと同様な誤謬に陥ってしまっているわけである。
  このような誤謬と欠陥に満ちたミス・リーディングな数値が、いかにはなはだしい整合性の欠如や矛盾を内含したものに、なりはててしまっているかということは、本稿で試みた上述の簡明な実証的・数量的な吟味作業の結果からしても、疑念の余地なく明らかになったところであろう。

深憂! 重要国策の遂行が不可能にされている

現在のわが国は、破綻の危機にひんしている政府財政の再建、経済のマクロ的停滞状態からの脱却による国力の振興と貧富の較差問題の克服、年金制度など社会保障システムの整備、自然環境の改善、ハブ空港の建設など社会資本のいっそうの充実、そして、なによりも、防衛力の拡充、等々、の重要な国家政策の遂行を急がねばならない状況にある。近時、「もはや、国の政策には頼らない!」といったことが叫ばれ、あたかも、そのようなスタンスが美徳であるかのごとく、もてはやされている。しかし、自由放任的な市場経済のもとでの民間の個人や個々の企業がどのように奮励努力しようとも、それだけでは、これらの重要な国策の実現は、ぜったいに達成されはしない。すなわち、どうしても、政府による財政・金融政策──事実上のケインズ的政策──の大規模な発動が必要なのである。
  言うまでもないことであろうが、そのような重要な経済政策の策定にさいしては、わが国の経済社会における財貨・サービスの生産・供給能力のマクロ的な余裕状況を示すデフレ・ギャップ(GDPギャップ)の数値的な把握ということが、不可欠な前提となる。現に、内閣府の場合でも、そのマクロ経済政策の立案や吟味のための政策シミュレーションに多用されている計量モデル(エコノメトリック・モデル)では、その連立方程式体系のなかに、上述してきたような重大な欠陥を持つ内閣府流の「GDPギャップ」という指標がそのまま組み込まれていて、重要な役割をはたす構造にされているのである。したがって、わが政府が、上述の5月28日や6月18日の内閣府の公表のごとく、「…‥現在のわが国の経済では、デフレ・ギャップ(GDPギャップ)は消失してしまっており、むしろ、インフレ・ギャップが発生しつつある」とするような誤謬に満ちた算定結果に立脚し続けているようでは、上記のような重要諸国策の遂行・実現ということは、ほとんど全く望み得ないわけである。しかも、現在のわが国においては、左翼的な「反日」思想謀略と果敢に闘ってきた良識派の愛国者陣営の論客たちでさえ、このような事態の重大性に、ほとんど気がついていないようである。
  すなわち、まことに憂慮にたえない状況なのである。筆者(丹羽)が、十年あまりも以前より、渾身の努力を傾注して、経済理論的にオーソドックスで誤りの無い妥当なコンセプトに立脚した厳密な方法によるデフレ・ギャップ推計作業に取り組み、政府(旧経済企画庁および現内閣府)の公表とはまったく逆に、厖大なデフレ・ギャップの長期的な発生・累増、したがって、マクロ的な生産・供給能力の余裕の十二分な存在という状態こそが、わが国経済の実情そのものであるという疑念の余地のない計測結果を得て、それを本誌などにおいても示し続けてきたのは、まさに、そのような憂慮すべき状況の認識を踏まえてのことであったのである。

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